人はひとりでは生きていけない。
人はひとりでは生きて行けない。
私はそう思っています。
私はそう思っています。
若い頃は自信過剰なくせにフラフラと迷ってばかりいましたが、そんな私がこれまで生きてこれたのは、沢山の方の支えがあったからこそだと、今は思っています。
家族や両親、関連企業の方はもちろん、一緒に働いてくれる社員や私の友人たち、そしてサンウッドのお客様。私が生きてこれたこと、サンウッドがこれまで存続出来たのは、皆様が居てこそです。
家族や両親、関連企業の方はもちろん、一緒に働いてくれる社員や私の友人たち、そしてサンウッドのお客様。私が生きてこれたこと、サンウッドがこれまで存続出来たのは、皆様が居てこそです。
だから私には、これまでの人生の先輩方への恩返しと、これからの若い人たちに向けて、地元大分で何か恩返しがしたいという思いがあります。
自分が年齢を重ねていく度に、そういう想いを抱くようになりました。
「代表あいさつ」でも触れさせて頂きましたが、ここ大分県東部で「二人暮らし世帯」が増えてきています。子供たちが独立して、お二人住まいの高齢のご夫婦や、近年では若いご夫婦のお二人住まいも多いです。サンウッドでもこれまで、他社と提携しながらそういった皆様の家づくりのお手伝いをさせて頂いたこともあります。
でも、「二人暮らし」を想定した住宅が少ない。
多くの住宅会社さんと取引させて頂く中で、私はずっと疑問に思っていました。
「もっと”ありがとう”と言われる仕事がしたい」
そう考えたとき、一つのアイディアが浮かびました。
「だったらサンウッドで企画住宅を作って、販売するのはどうか?」
住宅の工事については、他社と提携しながら何年も続けておりましたので、これは自分たちに出来る事だと思ったのです。
社員全員と何度も会議を開き、「自分たちだったら、どんな家に住んで、どんな暮らしがしたいか?」を考え、辿り着いたのがロフト付き平屋住宅「“ふたり”をつなぐ家 木の愛-ki no ai-」です。
「“ふたり”をつなぐ家 木の愛-ki no ai-」には、木のぬくもりに包まれながら、お客様に毎日を助け合いながら、豊かに暮らして頂きたい。そんな私たちの想いが詰まっています。
現在私が社長を務めるサンウッドは、私の祖父が立ち上げた会社です。
会社として登記したのは50年前でしたが、2011年には林業と木材業に携わり始めてから、100周年を迎えました。
会社として登記したのは50年前でしたが、2011年には林業と木材業に携わり始めてから、100周年を迎えました。
「社長にはならんけん」。
そう何度も、父に告げていました。
そう何度も、父に告げていました。
家業を継いで、サンウッドの社長になることを拒否していたのです。
幼いころ、既に祖父から社長業を受け継いでいた父を見ながら、子供心に「お父さんは、好きな事を仕事にしているんだな」と思っていました。
だから自然と「将来は、自分が本当に好きなことを仕事にしたい」、ずっとそう思いながら生きてきたのです。
家業を継ぐこと。
それはこの先ずっと、「自由がない人生」を強いられることになってしまう。
それはこの先ずっと、「自由がない人生」を強いられることになってしまう。
「オレなら父より面白い人生を歩めるはず。だから敷かれたレールにそのまま乗らずに、自分の道を探そう」、当時の私はそう信じて疑いませんでした。
敷かれたレールを拒否した私は、自分の可能性を試すために、高校卒業後に東京にある大学に進学。東京では学業と共に、およそ20種類くらいのアルバイトを経験しました。
電気配線に、バーテンダー、家庭教師まで、ありとあらゆる仕事を経験しながら、新しい仲間と出会い、色んな世界を見たつもりでした。
しかし、自分は大学を卒業後に何がしたいのか?
その答えは、見つかりませんでした。
その答えは、見つかりませんでした。
3年生になるころには、私より先にこれからの人生の目標を見つけた仲間たちは就職活動を始め、釣られるように私も焦って就職活動を始めましたが、「オレにはもっと、オレにしか出来ない相応しい仕事があるはず」という頭が抜けませんでした。
その後、結局は大分に戻り、嫌々ながら父の経営するサンウッドに入社することになりました。
あれだけ嫌がっていた「社長になって家業を継ぐ」という元から敷かれていたレールを、結局は惰性で選んでしまったのです。
あれだけ嫌がっていた「社長になって家業を継ぐ」という元から敷かれていたレールを、結局は惰性で選んでしまったのです。
「学生時代にもあれだけ沢山の仕事を経験したし、きっと家業もオレだったらすぐにこなしてしまうだろう」
入社以来材木屋の跡取りとして、良い物を適正な価格で正々堂々商売をすることを心掛けてはいましたし、社会人として真っ当に働かなくてはいけないという気持ちも勿論ありました。
当時の私は、「いつか自分にしか出来ない仕事をやってみたい」という、未来に対して想いを馳せてばかりいて、材木屋の仕事と真剣に向き合えていたのだろうか?こうやって若かりしき頃の自分を振り返ると、そんな風に思ってしまいます。
自分の事を信じて疑わないのは私の長所でもありますが、当時あのまま進んでいたら、自分の慢心や迷いが、いつか自分の首を絞めることになってしまったのではないかと思うのです。
あの出来事が起こるまでは。
入社して数年が経過した、ある日のことです。
いつもの様に、加工場で材木の製材をしていた私の身体に、突如激痛が走りました。
いつもの様に、加工場で材木の製材をしていた私の身体に、突如激痛が走りました。
材木を加工する機械に、手の小指が巻き込まれたのです。
完全に自分の不注意です。
幸い日常生活に支障をきたす怪我ではなかったものの、自分の身体の一部が失われたことに、ショックを隠し切れませんでした。
完全に自分の不注意です。
幸い日常生活に支障をきたす怪我ではなかったものの、自分の身体の一部が失われたことに、ショックを隠し切れませんでした。
「なんでオレが・・・」
怪我を機に、ずっと溜め込んでいた気持ちが爆発しました。
「こんな怪我をしてまで、やる意味のある仕事なんだろうか?」
わからなくなりました。
祖父と父がこれまで経営してきたサンウッドという会社で働く意味、自分がその後を継ぐ意味。働くことの意味。
その全てに対しての葛藤と疑問が、押し寄せてきました。
しかし、当時既に妻子ある身でもあったため、泣き言を言っても仕方がないと、
無理やりに気持ちを奮起し、仕事を続けていました。
疑問と葛藤を、心の奥にしまい込んだまま。
たった一言のありがとう
それからしばらくして、私にとってもう一つ転機となる出来事が起こりました。
怪我からも復帰し、いつもの通りに仕事をしていたところ、サンウッドに出入りしている、とあるお客様に声をかけて頂いたのです。
怪我からも復帰し、いつもの通りに仕事をしていたところ、サンウッドに出入りしている、とあるお客様に声をかけて頂いたのです。
「ねぇ、どこか腕の良い大工さん知らない?」
聞くと、自宅の庭に塀を作ってくれる大工さんを探しているとのことでした。
塀を作る作業は、何処かの住宅会社を通さずとも、大工さんと材料があれば作ることが出来ます。そのお客様もその事をご存知でしたので、住宅会社や大工さんとの人脈を持っている私に、相談を持ち掛けてくださったのです。
「紹介しますよ、詳しく話を聞かせてください」
話を聞くと、どうやら今の家を建ててから随分と年月も経っており、床がミシミシ音がしたり、その他にも細かい不具合が多いとのことでした。
対処方法などを色々お伝えしていくと、なんとお客様に「じゃあ、ついでにリフォームしてくれない?」とご依頼を頂いてしまったのです。
正直、この頃の私はリフォーム業を施工した経験はありませんでした。
住宅に関わる仕事をしているので、住宅に関する知識はありましたが、具体的な業務となると、全く初めての経験だったのです。
絶対の自信はありませんでしたが、せっかくのご依頼なので、ありがたくお仕事を引き受けさせて頂きました。
しかし、実際にやってみると、失敗の連続でした・・・
まず、工事が全然予定通り進みませんでした。
加えて単純な私の発注ミス等も起こり、気持ちは益々焦るばかりでした。
失敗をする度に、当然お客様から苦言を頂きましたので、気持ちが滅入ることもありましたが、全ては自分のミスが原因。
「絶対になんとかしなくてはいけない」という気持ちだけで、なんとか最後まで工事をやりきりました。
まず、工事が全然予定通り進みませんでした。
加えて単純な私の発注ミス等も起こり、気持ちは益々焦るばかりでした。
失敗をする度に、当然お客様から苦言を頂きましたので、気持ちが滅入ることもありましたが、全ては自分のミスが原因。
「絶対になんとかしなくてはいけない」という気持ちだけで、なんとか最後まで工事をやりきりました。
そして、なんとかリフォーム作業は完了。
終わった時は、「やっと終わった・・・」と安堵の気持ちが大きかったのですが、その時にお客様にかけて頂いた言葉が、私は忘れられません。
「ありがとう」
そのたった一言の言葉が、ただただ嬉しかったのです。
ミスを繰り返した私に、最後まで仕事を任せて頂けたこと。
最後に、感謝の気持ちを伝えて頂いたこと。
そのたった一言が、嬉しくてたまりませんでした。
ミスを繰り返した私に、最後まで仕事を任せて頂けたこと。
最後に、感謝の気持ちを伝えて頂いたこと。
そのたった一言が、嬉しくてたまりませんでした。
「こうやって、人に喜んでもらうことをもっとやりたい」
一生懸命やったら、そのがんばりが伝わって喜んでもらえるんだ。
怪我を機に再び抱えこんでいた仕事に対しての葛藤が、少しだけ晴れた気持ちになりました。
怪我を機に再び抱えこんでいた仕事に対しての葛藤が、少しだけ晴れた気持ちになりました。
そしてこのリフォーム工事を機に、材木業と並行して、少しずつですが自社で注文住宅・リフォーム工事を手掛ける様になっていきました。
そして私は2011年、ついに腹を決めてサンウッドの社長に就任することになったのです。
あれだけ嫌がっていた社長業ですが、やってみると楽しさを見出すことも出来ましたし、何より「社員の人生を背負う」というプレッシャーが、これまでより真剣に仕事に向き合うという覚悟を持つキッカケになりました。
誠心誠意、嘘偽りなく。
皆様の人生のライフステージの変わり目にお役に立てる住まいづくりのお手伝いをさせて頂きますので、皆様これからサンウッドをよろしくお願いいたします。